被災地の向日葵
東日本大震災からもうすぐ半年が過ぎようとしています。先日、夏休みを利用して宮城県に被災地支援ボランティアに行ってきました。
さまざまなツアーの中から仙台の旅行会社が主催する2泊3日のバスツアーを選びました。
バスは水曜日の深夜に、東京駅から仙台にもほど近い七ヶ浜町に向けて出発しました。どんな人たちが参加するのだろう?とバスに乗り込むと、ほとんどが一人での参加で、男性がやや多く、20~40代が中心のメンバー構成。偶然にも私の隣の席に座った女性は出身大学が同じで、私の1つ後輩でした。同じような一人参加者がいたことは心強かったです。
朝PAで作業の服装に着替え、身支度を整えます。作業には破傷風などの予防のためにも長袖、長ズボン、長靴が必須。このほかにも、防塵マスク、ゴーグル、帽子というフル装備で、手にはゴム手袋をはめ、水とスポーツ飲料を用意して臨みます。
七ヶ浜のボランティアセンター | ここで道具の貸し出しや作業のマッチングを行います。
ボランティアセンターの一角には各地から送られてきた支援物資が積まれていました。
七ヶ浜のボランティアセンターに到着すると、ショベルや鍬などを借りて、現場に向かいます。ボランティアセンターが直前にマッチングして活動場所、内容が決まるとのことでしたが、今日は花渕浜沿いに建っていた民家での作業でした。
現場付近は瓦礫などが取り除かれ、家の土台だけが残った状態でした。この場所に再び家を建てるということで、土台にたまった泥や雑草の刈り取り、基盤の木材の撤去などが主な仕事です。
まず、海が目の前に広がるこの場所に再び家を建てるという住民の方の意志に驚きましたが土地への深い愛着の表れなのだと思います。津波や地震の恐怖を体験しながらも、この場所で生きていくという決心の固さに感銘を受けました。
この日は熱中症予防のため、午前中のみ、2時間ほどの作業でしたが、洋服は汗びっしょりになりました。約40人で作業し、家の土台はすっかりきれいになりました。
海沿いに立っていた木が根こそぎ抜けて散乱しています。
瓦礫は1カ所に集められています。その量は膨大です。
宿泊地の秋保温泉に向かうバスは被災エリアを通りながら進みました。瓦礫は一カ所に集積されて、一見復興が随分進んでいるように思えます。しかし、根こそぎ倒れた木が散乱し、つぶれた車が積み重なる光景に津波の恐ろしいほどの力を感じ、まだ手つかずの壊れた民家や陸地にたたずむ船に、津波が残した痕跡をまざまざと見せつけられました。
宿は立派な旅館ですが、5人で一部屋が割り当てられ、今回はボランティア用の簡易版の食事とサービスということでした。でも、作業の汗を流すことができましたし、ご当地ビールも味わえました。
翌日は再び七ヶ浜町のボランティアセンターで作業道具をピックアップして、別のエリアの民家を受け持つことになりました。茂った雑草の刈り取りと瓦礫拾いで午前と午後があっという間に過ぎました。
この日は雨が一時的に降りましたが、それほど暑くならず作業には問題ない天気でした。瓦礫拾いを続けていくと、土の中から壊れた食器や洋服、仏具、腕時計などが出てきました。あの津波は建物だけでなく、生活そのものを奪っていったという事を思い知らされました。
民家の住民の方が様子を見に来ました。今は仮設住宅に住んでいて、この場所をどうするか、まだ決めかねているということです。
土嚢袋に雑草、石、ガラス、瓦、金属類など分別して入れていきます。作業が終わる頃には土嚢袋の山となっていました。
雑草に混ざって、家の土台の枠組みの中に向日葵が咲いていました。住民の方に聞いてみると「そうねえ、綺麗だしそのままにしておこうかしら」ということで、向日葵はひとまず抜かれずに残りました。
被災地にも例外なく季節が巡ります。地震や津波といった自然への畏怖と、傍らで元気に咲く向日葵のような自然の恵みを同時に感じる光景でした。
作業が終わる頃、大きな縦揺れを感じました。震度4~5弱の地震が発生し、わずかながら津波注意報も出されました。思いのほか強い揺れに恐さを感じましたが、現地の人たちは私たちよりもずっと落ち着いていたように思います。こんな揺れは余震で幾度も経験しているはずです。
それにしても、人ひとりの力はこの大きな被害を前にしてなんて微力なんだろう、と復興までの長い長い道のりを思うと途方に暮れてしまいそうでした。それでも、前に向かうために継続的な支援が必要ということを肌で感じたボランティア体験でした。