中国超級足球(サッカー)リーグ観戦しました。
上海出張中、ちょうど市内の虹口足球場(虹口サッカースタジアム)で中国超級リーグのホームゲームが行われるということで、視察させていただくことにしました。中国超級リーグは、2004年に発足して以来、汚職や八百長問題が取り沙汰されてきましたが、協会と政府が本格的に腐敗官吏の取り締まり、汚職の撲滅に取り組み、また今年大連の不動産企業が大型出資を発表したほか、レベルアップのための選手補強も積極的に行われ、今後の再生、発展が期待されています。
さて、この日の対戦相手は現在リーグで首位を走る広州恒大。キックオフの時間を前に試合会場には次第に人だかりができ始め、スタジアム内は熱気に包まれていました。会場内に入り席に着くと、目の前に飛び込んできたのは9割を超える上海申花サポーターの青色。ゴール裏のサポーターエリアはどちらも青、それぞれのエリアで別の応援をするので、まるで申花vs申花、味方なのか敵なのかわからない状況です。
地元意識の強い国民性のためでしょうか、それともそのあまりに広大な国土のためでしょうか?僅かばかり広州恒大におくられる声援に、その姿を探してみると、ごくごく限られた一角に赤い集団を見つけました。広州恒大にとってこれは究極のアウェイゲームです。
しかし超少数派恒大サポーターの応援が選手たちに届いたのか、試合は恒大がチャンスを確実にものにし、2-0で勝利しました。1割にも満たない恒大サポーターの歓声と、申花サポーターの落胆。試合内容ばかりでなく、なかなか興味深い試合でした。中国超級リーグは現在16チーム、他チームの試合も今後ぜひ観戦してレポートしたいと思います!
アトランタ→オーガスタに出張に行ってきました。
今回は、アトランタではお客様に挨拶まわりをして夜にオーガスタ入り、2日目は朝からANGC、ホテルとのミーティングを行うスケジュールでした。
オーガスタへ向かう高速道路I-20 で50台の玉突き事故が起こった直後を反対車線で目の当たりにしたこともあり、最終日は朝早めにホテルを出発してアトランタ空港へ。
アトランタ空港でレンタカー返却時の走行距離を見てみると、なんと647マイル!!キロ換算で1,041キロ!
ルート検索すると、東京駅から小倉までが1,033キロなので、3日間かけて九州にちょうど渡れるくらい走行してきたことになります。
旅先の写真数枚を紹介します。
レンタカーはHertzという会社で借りましたが、駐車場に行ってびっくり!2,000台近くものレンタカーが所狭しと並んでいました。アメリカのスケールの大きさにはいつになっても驚かされます。
初日泊まったアトランタのホテルのテレビ。電源を入れるとPHILIPSのロゴが数秒出現し、それから映像が始まります。なかなかのインパクトですが、家庭のテレビがこんな仕様だったら、大クレームが起きそうです。
お客様との昼食で立ち寄ったゴルフ場クラブハウスの駐車場。CLUB CHAMPIONは専用駐車スペースが貰えるようです。日本のゴルフ場はどうなんでしょうか?
見覚えのある看板と思ったら、公文でした。親御さんが入口のパンフレットを取って熱心に見ていました。調べてみると1972年にニューヨークに進出しているとのこと。現在は世界45カ国で教室を開設しているそうです。知りませんでした。凄いですね。
公文の右隣にあるインド料理店で食事。CHICKEN BIRYANIという炒飯を頼んだのですが、Mild、Medium、Hotの選択肢のうちMediumを注文したら凄い辛さのものが大量にでてきてしまいました。食べきれずにお持ち帰りしました。
アトランタに戻るついでに、Georgia Techへ。この日はKansas大学とのアメフトの試合があったようで、キャンパスのいたるところで音楽が鳴り響き、寮の前では寮生がバーベキューとビールでパーティーをしていました。
55,000人収容のBobby Dotと、キャンパスから見えるCoca-Cola本社
【増田】
潜入!江戸時代の「忍者寺」
時は寛永20年(1643年)、加賀藩の3代藩主前田利常公の命によって妙立寺、通称「忍者寺」は建造されました。
外敵を欺くさまざまな仕掛けが施された寺ということで、ガイドブックでも紹介されています。事前に予約して、ガイドツアー付きで寺内の見学ができるということで、金沢を旅行したこの夏、興味本位で行ってみました。
庶民が参詣に訪れる一方で、歴代藩主自らも参詣したこの寺は、万が一の時の出城としての役割を担っていました。
加賀百万石、と形容される通りの加賀藩の勢力は徳川幕府にはとても目につく存在で、加賀征伐の計画まで立てられていたという説もありますが、幕府の軍勢を迎え撃つ臨戦態勢はこの寺の随所に見られます。
妙立寺の本堂
4階建て7階層のつくりになっていて、部屋数23に対して階段がなんと29もあります。
当時、幕府の規制により3階以上の建物を建ててはいけなかったのですが、見た目は2階建て、しかし押入れの壁を空けると3階以上に通ずる階段の入り口が現れます。この隠し扉をくぐるだけでワクワクしました!
実際に忍者がいたわけではなく、建物の随所に施された仕掛けから「忍者寺」と呼ばれるのだそうです。
さすがに歩くと床がミシミシしますが、大きな梁が使われていて丈夫な造りになっています。
部屋の中に太鼓橋が架かっていたり、茶室もあります。
刀を振りかざせない低い天井の部屋や、逆に刀の手入れができるよう天井を高くした部屋も。
内側からは扉を開けられない作りの、切腹のための小部屋もあります(なんともおぞましいですが実際に切腹した人はいないという事ですのでご安心を!)
一見普通の部屋に見える、とある部屋からは5つの階段に通じていました。これでは迷子になること必至です。
武士が民衆と隔ててお参りできる中2階の部屋、そして本尊の裏には外に出られる脱出口、内側からは開けられるけれど、外からは開けられないオートロック機能付きです。
落とし穴も多数。お賽銭箱の姿をしたものや、階段に見せかけ、下男部屋に落ちる仕組みになっているものも。
蹴込部分が障子張りになっていて、光が差し込むとともに、敵が侵入してきた際には人影が写り内側から槍で攻撃もできる明かりとり階段などなど・・・
徹底的に、敵から身を守るための仕掛けが施されています。
常に敵の存在を警戒していなければならない状況はなんとも気が休まりませんね。
裏門からの一枚。上部に望楼が見えます。
そして井戸もまた逃げ口になっているということですが、井戸の横穴は金沢城まで通じているというまことしやかなウワサも・・・
どの部屋からも逃げられるようにと建物中央に作られているのだそうです。
妙立寺から金沢城へは犀川を挟んでおり、さすがにそれは無理だろうとも言われているのですが、まだ解明されていない謎なのだとか。
内部の撮影は禁止されており、写真でお見せできないのがなんとも残念ですが、内部の様子は妙立寺のホームページでも少しご覧になれます。
金沢に行った際は、是非内部見学されることをお勧めします!
複元された金沢城