【中欧旅行記 その5】‐ミュンヘン‐
最後はドイツのミュンヘンです。ドゥブドヴニクから飛行機を乗り継ぎ到着しました。ミュンヘンは学生時代にバックパッカーをしていたとき立ち寄って以来でしたが、景色は変わっておらず、当時の自分と今の自分を比較したり、感慨に浸ることができました。
<ミュンヘンの街>
やはりドイツは地下鉄など交通網も整備されていますし、食事、ファッション、文化も日本が多くの影響を受けているせいか、過ごしやすい場所です。ただ1点、日本人には馴染みのないドイツ語を除いては…。ただレストランでも英語が通じることが多いので、不便はしませんでした。
<ミュンヘンのスポーツ>ドイツと言えばサッカー、ということで、ミュンヘンにあるあのクラブ、と思ったのですが、バイエルン・ミュンヘンの試合はタイミングが合わず、もう1つのクラブ、TSV1860ミュンヘンの試合を観ました。僕が前回来たときはまだ1部だったのですが、その後2部に落ちたようで、スタジアムも空席が目立っていました。試合はアウェイチームに終始押されて、負けてしまいましたが、サポーターたちの熱い応援や激しいプレーなどその雰囲気を堪能することができました。途中、ヨーロッパのスタジアムではよくあることですが、乱闘が起こりそうになり、警備員が集団で動き回るという物騒な場面もありました。今回は試合もそうですが、ワールドカップのメインスタジアムにもなったアリアンツ・アレーナを見たくて行ったのですが、やはり独特な外観が印象的だったのと、観客との距離が近く、迫力が伝わる素晴らしいスタジアムでした。ちなみのこの特徴的な壁面は日本企業の技術のようです。海外に行くと、いつも日本企業の技術力に驚かされます。<ミュンヘンでの食事>
ドイツのソーセージ、ビールは日本でも珍しくないですが、このカレーソースにつけて食べるソーセージはやはりドイツならではという感じがします。街の露店でよく売っていたりするので、ファーストフード感覚で食べられるローカルフードで、なかなか癖になる味です。
【中欧旅行記 その4】‐モンテネグロ‐
ドゥブドヴニクが思ったより退屈だったので、宿はそのままで東に位置するモンテネグロへの日帰りバスツアーへ参加しました。アドリア海の沿岸の街2つ(コトル、ブドヴァ)を周遊する1日ツアーでした。
<モンテネグロの街>この旅の中で唯一国境での入国審査があり、他のツアー参加者とバスの中で30分待った後、無事入国しました。(こういうことがあると、外国に来ている緊張感が走るものです)道中山間の道を通りましたが、山の景色は壮大で、日本海沿岸に近い雰囲気を感じました。最初に立ち寄ったコトルはドゥブロヴニクのように城壁に囲まれた歴史的な街で、その次のブドヴァは開発が進むリゾートタウンでした。最近ではシンガポールなどアジア資本も入っているようで、これからますます発展しそうな雰囲気がありました。歴史的にも地理的にもイタリア系の文化が根付いており、食べ物もイタリア系が多かったり、EU加盟国ではないものの通貨はユーロを導入しているので、観光客には滞在しやすい環境ではないかと思います。
<モンテネグロでの食事>
昼食として食べたペンネは珍しいものではなかったですが、海外ではあまり見かけないものの、ここではやたらと至る所の看板で見かけた“Iced Coffee”を注文しました。程よい甘さでおいしかったです。
【中欧旅行記 その3】‐ドゥブロヴニク‐
その後、ウィーン国際空港からザグレブを経由して、クロアチアのドゥブロヴニク(Dubrovnik)というアドリア海沿岸にある街を訪れました。今回の旅は「死ぬまでに行ってみたい絶景」のような特集記事を最近目にしたことがきっかけで、ここをメインの目的地に計画した旅でした。
<ドゥブロヴニクの街>空港が山の上にあり、「異国に来た」と気持ちが切り替わるような景色でした。そこからバスで20分ほど行ったところに海岸要塞の街があり、ヨーロッパでも人気の観光地となっているようです。非常に小さなエリアですが、中にはレストラン、カフェ、土産物屋がたくさんあり、一部民家も残っていました。何より城壁の上からの景色はやはり印象に残るものでした。不思議だったのは、日本から飛行機を乗り継いでアドリア海まで来ているのに、日本人と中国系の人をやたら見かけたことです。もうすでにいろんなメディアで紹介されているのか、すでに秘境ではなくなってしまっていることに少し寂しさを感じましたが、やはり絶景は絶景でした。<ドゥブロブニクでの食事>
海に近いのでシーフードが有名なようですが、代表的な料理とのことでイカスミのシーフードリゾットを食べましたが、これはかなりお薦めしたい一品でした。またクロアチアのビールは、日本のビールの味に近くチェコ、オーストリアのそれとは少し違う味でした。