生物学的文明論
皆さん、このタイトルを見て違うブログにアクセスしたかと思ったのでは無いでしょうか?
前にも本川達雄さんの<a href=”#20111004″>「ゾウの時間、ネズミの時間」</a>を読んだ話をしましたが、今回はもう一冊の「生物学的文明論」の話です。
ゾウの時間、、、では生物の寿命が中心に書かれていたのですが、この本は生物学的発想で現代社会を見てみる試みです。 しかしいきなり「生物学的発想」と言っても混乱するかと思いますが、簡単に言うと「共生」と「リサイクル」からなる生物の多様性の事です。
ご存知のとおり生物は互いに関係し合い、互い互いはかけがえの無い存在です。つまり生物学的発想では、性質が違うからこそかけがえの無い「量」では無く「質」の概念が元になります。即ち個別制や関係性が重視されるんですね。
しかし、同じ生物である人間では、科学や技術では均質性が重視され、形も生物は円柱形が基本なのに、人工物は四角が元になります。だから生物学的発想から考えるとおかしな構造やデザインがまかり通るんですね。 そもそも生物は体を構成する材料そのものが生きているので、状況に応じて形や振る舞いを変える事ができる頭の良さや柔軟性があるが(知能材料と言うそうです)、人工物は死んで乾いた素材を使うから、そういう事は無いですよね。
文中で特に面白かったのはナマコの皮の話。 ナマコの皮は本当に良くできていて、魚につつかれると、突然かたくなって身を守るのだそうです。面白いのは、さらに強くかみつこうとすると、逆に今度はものすごく柔らかくなって皮膚がとけて、自分の内蔵を(コノワタですね)吐き出してしまう事で、魚が喜んで食べている間に逃げるんだそうです。溶けた皮や失った内蔵はその後再生するというから驚きです。
おまけに全然動かないので消費エネルギーも少なくて済むわけで、エサはと言うと砂。砂についているバクテリアなんですが、まさに砂を噛む人生。 しかし砂はいくらでもある訳ですから、エサには困らないわけです。